彼氏がいて幸せだが、ずっと一緒にいられるか不安になる
私(20歳)女性
恋人(20歳)男性
同じ大学で同じ学部(同級生)であることから授業を通じて仲良くなり、お付き合いを始めました。今で1年と少したったところです。大学は、自分で言って品位を下げますが、日本で3本指に入る国立大学です。俗に「芋っぽい」とも言われる大学ですが笑笑
彼はとても真面目で、私のことも人としてとても大切にしてくれる人です。
校長先生、幸せってなんでしょうか。
突然ですが私には結婚願望があります。といっても、世間体ではなく、自らが「幸せな家庭を築いて旦那さんと子供がいつも笑っている家を作りたい」という夢があるからです。重いことを話すのはお門違いかもしれませんが、私は母親に虐待されて育ったので、家が怖い場所でしかなかった、そして今もそうなので。家にいると不安になります。息が詰まります。逃げ出したくなって、母親と一緒の空間にいることができません。父と母も不仲でいつも喧嘩しています。息をつけるのは、家のなかに誰もいない時だけです。
妹がおりますが、妹は可愛がられて育ちました。父のことは尊敬していますし愛していますが、仕事が忙しい人なので、関わりが薄いです。正直、母と関わりを絶ちたい。でも同時に母を愛せない自分をひどく憎んでいます。一生の汚点だと思っています。自分を醜い人間だ、と思います。
でも、なんだかやっぱり、将来安らげる家庭を作りたいと思ってしまうんです。
彼の家族仲はとても良好です。羨ましく思いますし、なぜかその姿を見るのが切ないです。いいなぁ、と思ってしまうのかもしれません。苦しくもなります。でも、家族仲の良い姿を見るのが幸せでもあります。
一人息子で、大切に育てられ、彼も両親を尊敬し大切にしていることがよくわかります。そんな彼を見るたびに、普通の家庭、がわからない私には「幸せな家庭」を築けるのだろうか、築く権利があるのだろうか、ごく普通(虐待のない、という意味で)に育った彼に、私は釣り合えるのだろうか、とふと不安になってしまいます。
自分の意見を言うことを禁止されて育った私には、自分の意見を人に言うことができません。どれだけ嫌でも、理不尽でも、自分が悪いと思って受け入れてしまいます。
彼には家庭の全てを話しました。受け入れてくれて、私を認めてくれました。切なかった。自分を愛してくれる人がいるのだと思って、汚いところも包んでくれる人がいるのだと、ただただ泣きました。彼は私を叱ってくれます。思いを言えない私を叱って、私は私であればいいのだということ、意見を言うことは悪いことではないと教えてくれました。彼のおかげで私は少しずつ変われつつあります。
何度か恋愛はしました。大好きだった人と、胸が裂けるような別れもしました。
まだ20歳、と言われるかもしれません。彼とはたかが1年の付き合い、と笑うかもしれません。これからまだまだ出会いがある、と言われるかもしれません。先のことはわからないこともよくわかっています。
でも、私は今の人と結婚したいと思って、そのくらいの気持ちでお付き合いしているし、彼もとても真面目な人なので、そう言ってくれています。
この思いはいつか消えてしまうものなのでしょうか。叶わないのでしょうか。切ないです。こんなに大切に思える相手を、たとえこれからこの人以上に大切に思える相手がいるとしても、彼がいいんです。彼と穏やかに幸せにこれからも一緒に生きていきたいです。こんなことを言ってても結婚は最短でも4.5年後ですし就活もあるし、どうなるかは神様にしかわかりませんが。でも、今は心からそう思っています。書いているとなんて陳腐な悩みなんだ、とも思います。
幸せってなんでしょうか。ご飯を食べておいしい、青い空が見られて嬉しい、それも幸せだとわかります。彼とずっと一緒にいたいと思うことはいけないでしょうか。彼といることに幸せを見出すのは間違いですか。苦しいです。大切で、幸せ過ぎて怖いのかもしれません。一度満たされすぎるとあとは下降するしかない、と怯えているのかもしれません。彼の笑顔をずっと見ていたい、もしいつか、ふっと手からすり抜けてしまったらどうしよう、と、怯えています。
何でもいいです、答えになっていなくてもいいので、なにか校長先生のお言葉を聞かせていただけたら嬉しいです。
もし掲載してくださる際には、長いので割愛してくださって結構です。
これからますます寒くなってまいりますので、風邪などひかぬよう。
温かくしてお過ごしください。
失礼いたします。
そのまま願い続けることが大事相談というより不安を吐露したという感じだから、校長も思ったことを垂れ流すけども。
普通の、いや普通という言葉も安易に使えないけども、大勢の人たちにとって気にもならないようなことが、生い立ちによっては気になってしまうよな。何も起きていないのに「この思いはいつか消えてしまうものなのでしょうか」とか、いろいろ思ってしまうのは、それだけ今の状態が君にとって「当たり前」ではないからだと思う。他の人だったら、あんまりそういうことを気にしないし、別れる確率のほうが高いのに、別れることについてそんなに考えないからな。上手くいっている間は。
雑に言えば、二十歳からの恋愛だと、そうそう別れずに結婚に至るということはない。でも、そういうのは個々の事情を無視した話であって、「虐待を受けて育った人が二十歳で運命とも思える人と出会って、涙が出るほどありがたくてずっと一緒にいたいと願う場合の、結婚できる確率」なんてものは誰も統計も取ってないし想像もできないことだから。何も保証できないけど、恐れる必要はない。客観的には、悪い予想なんて、何もない。
それと、君が言う「普通の家庭」が築けるのか、という話だけども。
育った家庭環境が悪いと、自分がまともな家庭を築けるのか、普通が分からないのに普通になれるのか、というのが気になるのはよく分かるんだよな。単純に言って、育った環境が悪ければ余裕を失いやすいし、育った環境の悪さと離婚率なんてたぶん統計にもバッチリ出てしまうと思う。でも、これもやっぱり、統計が君の人生を創るわけじゃないから。
環境は確かに影響する。ファッションセンスですら、親がファッションに興味があったかどうかで、だいぶ子供に違いが出ると思う。でも、それは素質ではなく、子供もファッションに興味を持つか持たないかのところで違いが出るからだと思うんだよな。親はそうでもないけど、その後の環境によって、子供はオシャレになった、ということはもちろんある。
普通の家庭を築きたい、普通の幸せこそが幸せなんだ、という価値観を君は持っているわけだから。それを願っているんだから、大丈夫。
ファッションの話でもそうだけど、価値観を持っているというのは、「資質を持っている」ということと同等とまでは言わないけれども、もうかなり近づいている証拠なんだよな。例えばテニスの理想的なプレーを知っているからといって、実際にプレーして理想に近づくのは、とてもとても大変。そういう、実現までのハードルが高すぎるジャンルもあるんだけども、例えば味噌汁の味だったら、美味しい味噌汁を知っていて、美味しい味噌汁はいいわぁという価値観を持っていることで、もうだいぶ資質があると言える。
美味しい味噌汁を知っているということと、「美味しい味噌汁は良いわぁ」というように味噌汁の素晴らしさを知っているということは、微妙に違うけどな。確かに美味しい味噌汁の良いお手本はもらえなかったかもしれないけど、君はその分、美味しい味噌汁の素晴らしさを知っている。
ただの慰めで言っていると思うだろうか。ちょっと「逆」で考えてみてほしいんだよな。親から大切にされて育ち、ちゃんと良い家庭をというものを味わってきたのに、それが当たり前になりすぎて親がくれたものの貴重さを知らず、一緒にいるとか同じことを繰り返して生きていくとか、そういうことの有り難さも感じず、年を取っていろいろ壊してみてやっと分かるってこともある。
例えば親が一生懸命に働いて背中で語っても、地道に生きていくことの大切さを学ぶ人と、学ばない人がいるだろう。良い価値観を持つかどうかは、環境の良し悪しだけじゃない。良いお手本がいても、そこに価値を感じる目がなければ、受け継ぐことはできないよな。そして価値観が備わっていなければ、そこには到達しない。
お手本は地図、価値観はコンパス。君は、地図はぼんやりしたものだったり彼氏のを見ることになるかもしれないけど、良いコンパスを持ってるから、大丈夫。まだまだあちこち迷ったりワケが分からなくなったりもするかもしれないけど、大丈夫だから。そのまま願い続けることが大事だな。
校長は、ディズニーシーの中ではシンドバッドのアトラクションが一番好きなんだけども、心のコンパスを信じて冒険しろっていう内容なんだよな(内容が変わってたりして…この前工事してたから…)。あれ、歌も好きなんだけども。
君の心のコンパスを信じていきなさい。