「くぼみ」を克服する方法は前向きになる以外ないのか
校長先生(毒舌太郎様)こんにちは!
ミサ23歳(♀)です。
何度か相談のメールを送らせてもらっていますが、今回は「くぼみ」について質問させていただきます。
私はいわゆるくぼみに該当する人間だと思います。(相談内容を聞いていただいて、違っていたらすみません。)
そんなに深刻ではありませんが、そういう傾向があるように感じます。
小学生の頃から先生に怒られやすかったり、女子特有のいざこざに巻き込まれやすかったり…。
他人の負の感情を引き受けやすい傾向があります。他の人には言いづらいようなことも、私には言いやすいんだと思います。
社会人になってからは、ますますひどくなりました。職場(女が多くて面倒くさい職場です笑)では、怒られっぱなしで理不尽なことばかりで。自分に自信がなくなってしまい、ドキドキしてうまく話せなくて、さらに漬け込まれている感じです。
上司が私を見せしめにするんですよね。私が苦しんだ分、同僚に被害が及ばないならもういいやって思うようになりました。
校長先生は以前、くぼみは自分に自信をもつこと、ポジティブになることが対処法だとおっしゃいました。(間違っていたり、安易な捉え方をしていたらすみません。)
私は基本的にポジティブですし、明るい性格だと思います。空気を読み過ぎてしまうところはありますが。そして、ある程度ですが自分に自信もあります。リーダー的な立場になっても、それなりに頑張れます。
仕事に関しては最近色々あって自信がもてなくなりましたが。
友達は「ミサは人の心を開きやすい性格なんだよ」と言ってくれますが、私は生きづらくて面倒くさいです。一方で他人のせいにするな、外的要因のせいにして甘えるな、とは思いますが。
周りは変えられないから、自分を変えてやろう!という思いで、今までずっと頑張ってきました。
でも頑張ろうとすると疲れてしまうことがあります。前向きにポジティブに生きていていくという方法以外に、くぼみを平らにすることは出来ないのでしょうか。
そして、もしかすると前向きな性格だと自負しているだけで、実際そうでもないのかもしれないです。前向きさ、ポジティブさとは具体的にどのようなことなのでしょうか。
もう今更なので、別に今のままでも構わないのですが、どうしたらいいのかなぁと思います。
よろしくお願いします。
抵抗を示すことが一番の近道「くぼみ」の意味が分からない人のためにまず説明すると(用語説明のページ作れよという感じだが)、くぼみというのは校長がよく使う言葉で、例えば人の八つ当たりを受けたり、いじられたり、何も言わないのをいいことに面倒くさいことを押しつけられたり、勝手に気持ちを解釈されたり踏みにじられたり、いろいろ重い相談を受けやすい人のことを言う。つまり、くぼんでいる場所に水が流れ込みやすいように、人の感情がそこに流れ込んでしまう、そういう人。
でも人の感情が流れ込むだけではないんだよな。頼めばなんとかなると思われたり、勢いとか雰囲気で強引に押し込めばなんとかなると思われたりすることが多くて、極度にプレッシャーをかけられることが多い。「○○ちゃんはお金持ってるしこれぐらいいいでしょ」とか他の人には言わないようなことを押し付けられて強引に流されたり、恋愛なんかでは、男が上からいけばなんとかなると思ってドSっぽく来られたり偉そうにされたりする。そういう圧力を受ける立場になることが多い。
それもこれも、ゾーンが弱いからだし、ものを強く言えないから、動揺しやすいから、だと言える。
なんでポジティブで前向きだと一つの解決になるかというと、心の余裕があれば、自己肯定感が強まれば、自信がつけば、揺さぶられにくくなるから。例えば友達から「結婚式で仮装して一曲歌ってよ」と言われて、それが到底無理だとして、余裕があれば笑って「いやいや無理だから。それはない」と言える。けれども、自分がこれを断っていいのだろうか、失礼に当たらないだろうか、といろいろ考える人はまごまごして断れなかったりする。
君のポジティブさは、おそらく明るい性格なんだろうけども、あんまり揺るがない自信とかにはつながっていないんだと思う。必ずしもそこがリンクしてるわけではないから。人と接するときになると弱い。
くぼみを平らにする他の方法、あるぞ。単純で最もダイレクトで短期的に結果が出る方法。これができれば苦労しないんだけども、それは、不当なことに自信を持って不快感を示すことだ。
「あの人は、温厚だけど、さすがに嫌なことをされれば怒るし抵抗を示す」
ということが伝わらないといけない。それって殺伐とした性格になれってことではないんだよな。いざというときに、不満を口にしたり、そうでなくても反抗的な表情で黙ったり、なんらかの抗議の意思を示せるようになるということ。泣いたり落ち込んだり固まって動揺を見せたり言い訳するのではなく。
人は関係性の変化に不快感を示すし、特にくぼみの人間が何か主張をしようとしたなんてイラつくものだから、そんなことをしたら相手が苛烈に怒ることになるかもしれない。例えばいじめの場面だったら、いじめる側は、いじめられる側の人間をそのままのポジションに追い込むべく、さらにいじめをエスカレートさせるかもしれない。例えば、これは違う例だけども、あるカップルの従順で依存的だった彼女に男友達がいっぱいできたとしたら、彼氏は怒って馬鹿にしたり批判したりすることが多い。従順だったやつは従順なままにしとけ、関係性の変化は許さん、という心の抵抗が起きるんだよな、人には。だからくぼみの人間がそれを脱しようとするときには圧力がかかる。
校長としては、その圧力を避けて、もっと自分の人生の充実を目指して、ぶつからずにのびやかに生きる道でもいいんじゃないかと思うが、ダイレクトにくぼみを解消しようとしたら、この壁を突破しないといけないんだ。不快感を示す、そして、そう簡単に思い通りにならないということを示す、そういう壁。
校長の友人で、明らかにくぼみと言える男がいた。人気者なんだけども、いじめられているような、いじられているような、微妙な存在。でも今は全然くぼみではない。普通に馴染んでいる、平らな状態になった。
みんなの年齢が上がって落ち着いたというのもある。彼に子供ができて人の親になって、そういう人間をどうこうする雰囲気ではない、というのもある。でも、彼が怒ったことはあまりないけれども、なぜか今は簡単にいじられないという雰囲気がある。たぶん彼の内面がだいぶ安定したんだと思う。それは長い時間をかけて変わるパターンだけども。
くぼみは治る。例えばクマってよほど切羽詰まってなければ、面倒な格闘をしてまで人を襲わないよな。人だって、くぼみの人間が気合入れて毎度毎度戦わなくても、少しは抵抗する人間だと分かれば、面倒くさいことをしてまでくぼみにつけ込もうとはしないものだ。いじめる側だって、いじめられる子をいじめるのが結構面倒くさいとなったら、すぐやめる(ただしいじめる側のコンプレックスの強さにもよる。粘着質もいる)。特に日本人は、そして年齢を重ねれば重ねるほど、面倒くさいことを嫌うから。企業だって役人だって、多少のクレームなら、もう面倒くさいから謝って補償してさっさと終了、っていう姿勢が多いよな。君も、ある程度抵抗を示せるようになれば、周囲の人はそういう人との摩擦を覚悟してまで当たろうとしなくなるんだよな。
逆に言えば、たいがいの人は不快感を示したり抵抗を示すから、数少ないくぼみの人に、いやーな出来事が集中するのだとも言える。そしてますます怖くなって、くぼみになっていく。一部の人にシワヨセがいくんだよな。いじめ気質の人間は面倒くさがりだから、楽なほうへ楽なほうへ感情を向けて、うっぷんを晴らす。
ふざけた世の中だろ。くぼみの話をしてるとイライラしてくるな。弱虫でコンプレックスのカタマリが、抵抗しない人を探して集中攻撃するのさ。無自覚に。
本当は、くぼみの人にはその個性があって良いところがいっぱいあるから、そのままでいてほしいし、面倒なことは「逃げてかわして、無関係に幸せになれ」と言いたいが。逃げてかわせないとか、すぐになんとかしたいというのなら、心を強く持って抵抗しなさい。抵抗するときは絶対に泣いたり動揺したり表情を崩したらダメだ。無視でも反抗でも反論でも睨むだけでもいいから、そのときは無表情でいることだ。例えば上司に見せしめにされたら、無表情で、心の中で「納得いかない」と言いなさい。上司が何か言葉で畳みかけてきたら、例えば「いますぐ反論は思いつきません。でも納得できません」と言いなさい。そういう気概が大事。
くぼみを脱するのはいいけども、その性格の基礎は変わらないようにな。優しさと表裏一体になった怖がりが、こじれてるだけなんだから。